· 

吉水神社と楠公さん

700年の時を経て蘇る。幕末の志士が愛す"楠木正成"の写真展開催。

 

山岳写真家の廣田勇介です。

 

 

おかげ様で、クラウドファンディング目標金額の70%まで、

ご支援を賜っております!

 

終了まであと37日、引き続き、

皆さまの温かいご支援をよろしくお願い申し上げます。

 

 

さて、今回は表題の神社。

奈良、吉野は吉水神社のお話です。

 

 

 

 

この10日間、実は私、通勤のため東京と吉野を五往復するという

八咫烏も顔負けな移動生活をしておりました。

 

 

 

 

実在する焼き鳥屋さん(すごい名前ですね。。。)

 

 

 

 

 

はい。

 

 

 

 

今回はこちらのプロジェクトのお仕事で、

 

 

 

お茶会の他、後醍醐天皇御即位700周年記念の歴史的な行事の撮影を担当させて頂きました。

 

地方創生に尽力される皆さまと、すでに歴史的な地位にあるこの吉野をさらに、魅力ある土地にしようとされる、地元の方々の協力タッグです。

 

本当はこちらのお話も書きたいのですが、

一度踏み込みますと、おそらく2日や3日では出てこれない、

ブレアの森に踏み込むようなものですので・・・

 

 

表題のお話に絞らせて頂きます。

 

 

さて、吉水神社。

 

 

こちらは、一時期、南朝の行宮があった場所。

つまり、皇居だったんです。


 

ふつう、皇居のイメージってこんな感じですよね。

 

 

 

都会の中に、緑が残っている感じです。

 

 

でも、吉水神社はこんな感じです。

 

 

赤い印が吉水神社。南朝行宮。

 

現代でも深い森林に覆われているのがわかります。。。

 

 

 

 

 

拡大しますと、

 

 

こんな感じ。

 

吉野町の方には悪いですが、

 

これはれっきとした「山」ですね…。

 

 

しかも700年近く前の話ですからね。

 

 

昔はもっと、「山」だったに違いありません。

 

 

 

 

どんな理由があっても、

こんな所に(吉野町の方ごめんなさい)天皇を追いやるなんて、

 

 

 

 

 

 

足利尊氏!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と思いましたよ(笑

これを初めて知った時は。

 

 

でも、その後、太平記を読みこむにつれ、

 

足利尊氏にも、

それなりの事情があり、

 

理想だけでは食っていけなくなり、

 

という人間的な理由を知るにつれ、

 

太平記というドラマが、より一層親しみを感じられるように、

なったのも事実なのですね。

 

 

 

大河ドラマ太平記での足利尊氏役の人

 

 

 

では、それに対して、なぜ楠公さんが貴いのかというと、

 

一言でいうと、

 

生涯に渡って理想を貫くことが出来たからなんですね。

 

 

 

 

「そうは、言っても現実は厳しいからね~。」

 

 

「生活がありますから…。」

 

 

「理想だけじゃ喰えねぇよ」

 

 

「いい加減、大人になったら?」

 

 

未だピーターパンから抜け出せない私は、

未だに、よくよく聞く言葉です。

 

そしてそのご忠告はすべて正しいのです。

 

 

楠公さんにも、天皇や理想を裏切る自由があり、

事実、足利尊氏から、多大な恩賞の約束をされたり、

そうしようと思えば、いくらでもそう出来る実力もあったのです。

 

 

でも、楠公さんは、それらの誘惑や忠告に耳を貸さず、

理想を貫き通しました。

 

 

人間界において、理想を貫くことが、

どれだけ難しいことかを、昔の人々も理解していたがために、

今も各地で御祭神として祀られているのでしょう。

 

 

 

そして、私たちが楠公さんから学ばねばならぬことは、

理想に生きたという事実よりも、

 

どうやって理想を貫いたのか?

 

という方法論なのかもしれません。

 

つまり、理想を貫くためには、

現実的な人間よりも、合理的、戦略的でなければ無理

 

ということなのですね。

 

 

 

 

千早城の戦いで、楠公さんは時代を200年先取りした恒常的な陣地を構築した

 

 

 

誰よりも理想に生きて、

誰よりも合理的、戦略的な戦いをした。

 

 

だから楠公さんはカッコイイんですよ。

 

 

 

 

 

さらに、楠公さんの偉大さの秘密は、

それだけじゃなくて、

 

 

 

その死に様にもあるのですね。

 

 

それはまたこんど。

 

 

 

ちなみに、吉水神社を皇居と定められた、後醍醐天皇は、

太平記の前半で、鎌倉幕府打倒に失敗し、

不運にも、島流しにあわれています。

 

 

以前、鳥取に行った際、海岸から後醍醐天皇が流された隠岐ノ島を

見たときも、先ほどの吉水神社と同様に思いましたね。

 

遠くに霞む隠岐ノ島、

 

だってこんな感じに見えたんですよ。

 

 

 

 

 

 

 

これはちょっと…、大袈裟ですかね…。

 

 

でも、

 

 

 

 

 

北条高時!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

とおもいましたよ。

心の底から。

 

 

 

 

 

そしまして、吉水神社に戻ります(いきなりかよ)

 

 

 

主祭神はもちろん、後醍醐天皇。

 

現在は書院が日本最古の書院作り住宅建築として世界遺産に

登録されています。

 

 

 

その他、義経と静御前が最期に会した間や、

後醍醐天皇玉座、豊臣秀吉公ゆかりの品々など、

濃密な空気の漂う空間となっております。

 

 

そしまして、

吉水神社の佐藤宮司はあまりにも有名な方なので、

ここでの説明は省略させて頂きます。

 

何しろ、ブログのタイトル、

 

ニコニコ顔で命がけ!

 

の通り、宮司になられる前は、

大阪府警で特殊急襲部隊SATやレンジャー部隊の指導を

されていた方ですからね。

 

勇気と度量の大きさが、現代人の理解を越えられた、

巨大な人です。

 

 

 

そして、なんと摂社の楠公社、吉水宗信法印社に、

今回の写真展の案内を置かせて頂いております!

 

 

 

畏れ多い~。

 

「楠公さんの写真展だから、楠公社がいいでしょう」

 

と佐藤宮司はニコニコ顔で、置かせてくださいました。

 

 

ありがとうございます。

 

 

楠公さん所縁の神社様、お寺様などに

様々にご協力頂いており、

 

誠に感謝に堪えません。

 

 

 

BIGスポーツくじHPより

 

 

 

 

他にも様々な方々にご協力頂いており、

こちらでご紹介できないのが申し訳なく思います。

 

いつも、まとまりのない終了で、

恐縮ですが、本日はここまで。

 

 

引き続き、本記事のシェア、クラウドファンディングへのご支援など、

ご協力よろしくお願い申し上げます。

 

 

ありがとうございました。

 

 

廣田勇介